グループ展
 あいちトリエンナーレ地域展開事業「Windshield Time-わたしのフロントガラスから」
 現代美術 in 豊田/喜楽亭
 2019年1月19日[土]- 2月11日[月・祝]
 素材 : 太陽光、絞りユニット、模型、LED、水石、懐中電灯、鏡、蝋燭、ガラス、お膳、常花、
     アクリル板、ステンレス球、小原和紙など
 Cooperation : Eto Rika、Nishiyama Takashi(Suiseki)、Niimi Hiroki(Glass)、
         Youko Yano(Glass)、Kano Tomomi&Hisashi(Japanese paper)          Culture Promotion Division, Active Lifelong Support Department, Toyota City



「地球には どれだけ 水がある?
 空気の中には どれだけ 水がある?
 身体の中には どれだけ 水がある?
 この世界には ひとつの 水がある?
 巡って 巡って 連なって 全部で ひとつ。」






タイトルは水害の多かった昨年(2018年)の記憶によります。
最初の間にはその近過去の水没した家屋がジオラマで表され、またカメラオブスキュラ(暗箱)の原理でリアルタイムの外の光景が〈今、ここ〉を、自然石と光で大自然を象徴させているようです。
次の間は喜楽亭にあった膳や器やガラス製の滴などを駆使し雨漏りの記憶を示し、またさらに続く間では床の間の和紙と床の黒いアクリルにより水面が示され、さらに映像で光に群がる虫が映されます。
光と闇の中、想像上の水を介して大きな自然と生命が見えてきます。

美術評論家 天野 一夫

航/廊下

廊下の突き当たりに絞り機構をつけた建具を設置。階段を上ってきた人は先ず、絞り機構の穴から取り込まれた光、その星のような輝きを目にする。廊下には帆船の模型を置いた。海面に見立てた廊下をゆく舟が目指す先は希望か、或いは…。

  
 




陽/1室

南側の窓に絞り機構をつけた建具を設置し、一室丸ごとをカメラオブスキュラとした。外の風景は反転し映り込み、直射日光が刻々とすぎる時間を示す。中央2畳分のみ古い畳のまま、1/150スケールの模型を用いてつくられた風景。よく見ると、町全体が浸水していることがわかる。床の間には水石、ガラスビーズで大海原が表現されている。その上にはガラスの蜘蛛を設置した。近過去の記憶と「いま、ここ」が交差する。

  
 

 

サンプル ⇨





挙/2室

中央の二畳は畳が外されて、中央に蝋燭が灯されている、その周囲には円状に8つの椀、床の間には膳(喜楽亭で料亭時代に使われていた膳のセット)。薄明かりの中、目を凝らすと椀の上に水滴が見える。それは、細いガラスでできている。やがて、水滴の音にも気づくだろう。幼少時の雨漏りの記憶によるインスタレーション。

  
 

 




浄/3室

中央は漆黒の池。そこに常花を活け込み蓮池をつくった。葉の上にはガラスの水滴。床の間には小原和紙が滝のように垂れ下がり、陰膳が供えられている。さらに障子には、姦しいほどの鳴き声とともに、光に寄せられ虫が次第に増えていく。それを突然、なかったことにする少女の影(映像)。すべての事象を、蓮池が静かに映し込んでいる。

  
 

 


さまざまな光を用いながら、水のイメージを重ねた「臨界点 2018 ヒカり」は、2018年西日本豪雨の激しさに衝撃を受けはじまった。一滴も水を使わずに想像上の水を介して、畏怖の対象でもありながら、多くの生き物が命をつなぐ上で欠かすことのできない水の有り様を描いた作品である。






小島久弥は喜楽亭の二階全体を使っている。階段を昇ったところから始まるわれわれの経験を想起ながらここに記しておきたい。ちなみに本建築は登録文化財である。そのため通常以上に原状回復と駆体の維持は求められるところであり、今回も釘一つ打ち込まずに物を吊り、様々な機器を駆使した。会場は比較的昏めの空間としている。徐々に見えてくるのは長い廊下の彼方の外部からの一点の光りであり、手前には一艘の船があり、この東からの光線がむしろムーンロードの延びる海面を示唆していることを明かしている。二階に上がって最初の西の部屋はカメラオブスキュラ(暗箱)の仕掛けが施されたもので、不断に〈今・ここ〉であることを外部からの影像が告げている。そこで見るのはミニアチュールの町である。六畳間の中二畳分だけを古い畳のままにしてその上に1/150の小さな町を作っている。しかし電柱も含め何かがおかしい。注意深い鑑賞者は分っていたが、ここでの家は約5m、つまりモデルでは3.3cm分カットされているのだ。2018年の倉敷他での水害の激しさに深く印象付けられた小島はそのことから今回の作品をはじめたという。この作家にとっては珍しい事である。本来、虚と実の狭間の瞬間「臨界点=(クリティカルポイント)」をコンセプトに制作を展開してきた小島は視覚的印象や、物の現象性の変化等を中心に据えてきた。そこでは時事性や、それをベースにした具体的意味は無かったのである。また自然災害は極めて作品主題になりにくい。それも直接的に被害の合った場所と人では無い。それを情緒性と現実のリアリズムの彼方からの視覚でみることが出来なくては作品化出来ないと思われる。光りは水を指し示す。よく見れば水石の置かれた床の間の上には蜘蛛(ガラス制作・矢野容子)が一匹居る。   次の間も静寂が律している空間である。中央の二畳は畳が外されて、中央には蝋燭が一本灯されていて、床の間には膳が、そして光りの周囲には蓋物がそれぞれ蓋を開けて上に向いている(喜楽亭で料亭時代に使われていたもの)。その上には薄明りの中、次第に水滴が見えてくる。それも透明な固化した水滴が。それはテグスではなく細いガラス線形が上から吊られているものだ(ガラス制作・新實広記)。我々は目を凝らしながらも次第に水滴の音に気付く。作家によれば幼時の雨漏りの記憶によるのだという。
さらに奥の間でも中央が漆黒の池になっている(アクリル製)。そこは蓮池になっていて(ガラス制作・矢野容子の)水滴が付いている。床の間には小原和紙(豊田市・かのうともみ・ひさし制作)が上から垂れ下がり、また金属球が浮いている。考えて見れば、和紙も水の流動による植物組成の重なりによるものだ。ここでも実際の流れが刻印されていて滝のように見えてくる。さらに障子には虫が次第に増えてくる(映像)。明らかに虫が光りに向かってくる様を示している。
全体に日本間三間ともに中央の畳が展示の場として反復されていた。また水害の町、水石、蜘蛛、滴、雨音、蓮池、球体、虫等々、様々な具体的なものがわれわれの周囲に在った。説明的であってはならない。逆にその薄明の中の物の謎の、しかし触覚的な印象が、われわれのイマジネーションを起動させる。一滴も水を使わずにその想像上の水を介してわたしたちは何か大きな自然と生命に触れ得たであろうか。
美術評論家 天野 一夫