小島 久弥 展 Critical Point“Re’08”
 ギャラリーMコンテンポラリー・アート
 2008年11月23日[日]-12月23日[火]
 素材:映像、車、模型のレール、模型のシグナル、ホルン、ワイングラス、黒アゲハ蝶、
 コーヒーカップ、ハイヒール、水晶球、人体骨格模型、ガラス、砲弾、電球など
 Cooperation:Eto Rika, Vamos Crew Co.,Ltd.








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原風景をめぐる無限軌道 — 小島久弥の近業に

〈原風景〉という言葉を最近しばしば耳にするようになった。広辞苑によると「心象風景のなかで、原体験を想起されるイメージ」とある。つまり、自分にとって重要な現実体験を呼び覚まし、呼び戻す心の中の風景、記憶の中の風景ということになる。言い換えれば、心象の側からみた現実との際=臨界点に浮ぶ風景、ということが出来ようか。この言葉を使う時、さらに付言しておきたいのは、〈原〉という修飾の一字によって、唯一のもののように勘ちがいしそうだが、心象と現実との接点をなす風景は個人にあっても決してひとつに限ったことはないとう点だ。時間的な要素を組み込めば、さらに人生経験の積み重ねによって変化する可能性さえあると考えてもおかしくあるまい。言葉で述べると、このように随分回りくどい説明になるが、そのことを端的に追求しているのが小島久弥の“Critical Point”シリーズではなかろうか。

芸術の領域で〈風景表現〉というと、まず山水、大気あるいはその点景としての建築物などの存在に迫る平面・絵画作品か、写真作品などを思い浮べやすいが、とくに20世紀末から21世紀美術の世界では、イメージの立体化やインスタレーションと呼ばれる展示方法の工夫によるほか、時間的要素を加えた動的な風景映像、たとえば海面の波の反復や森のみどりのざわめきなども大幅に取り入れられ、多様化して来た。さらにその表現には揺れ動く現実的な風景だけでなく、流動する心象風景にも範囲が拡大され、思いがけないファンタジックな世界の提示も含まれるようになった。

小島の創作活動は現在も絵画平面による表現を持続させながら、様々なオブジェのインスタレーションと動的な映像を組み合わせる、など制作意図に沿った手法を自在に駆使して、その時々の手作業に熱中する。なかでも注目されるのは2003年頃から開始された映像を中心とする作品提示である。近作“Re ‘08”について言えば、映像は列車の進行方向に展開する仮想の風景を、最前方の運転席から眺める視座を私たちに貸してくれる。それは子供の頃、電車の座席を離れて前方に広がる風景の見える位置へゆきたがって、母にたしなめられた記憶にも重なる。大きくなったら電車の運転手になる、と真剣に考えた子供心が懐かしい。
 

このような映像の制作は、模型の線路を様々なオブジェのインスタレーションや仮設された自然環境の中に分け入らせ、そこにカメラカーを走らせて映像を撮影・編集するのだが、闇と光、規則的な線路音の反復などの効果が、時間的要素に紆余曲折を与えつつも、偏在する生命リズムを刻みつける。こうした小島の世界に耳目を向けると、宮澤賢治のイノセントで純粋な詩や童話の世界との共通性に気付く人も多いだろう。ジョバンニとカンパネルラが乗った銀河鉄道の夜の旅にふと想いが届く。宮澤賢治にとって詩的な宇宙への通路であった鉄道が、小島の想像力を無垢の原野へ導く装置でもあるという意識は当然、小島自身の前提でもあるのだろう。ただし、「銀河鉄道の夜」(最終稿)はカンパネルラの水死という悲劇によって夢は中断する。つまり、終着点を持つ一方向的、直線的な軌道を感じさせる物語として閉じられる。小島はそれをよしとせず、エンドレスな旅にしたいという願望を強く持っているのではないのか。そのために絵画表現の中で永く用いられて来た遠近法、つまり立体を平面化するための錯覚を誘う静止的、一方向的な遠近法のみに依存することを回避する。仮設とはいえ、実際に存在する線路やオブジェを映像化し、さらにそこを走り、通過する列車が、未来へ向かうとも、過去へ向かうとも見えるリヴァーシブルな不思議な時間的遠近法を成り立たせる。虚構の側からヴァニシングポイントにある現実に肉迫しつつ、その寸前で反転し、急に遠い記憶を眼前に引き寄せ巨大化させるのだ。しいて言えば、小島の作品には逆遠近法とでも言うべき意識の望遠鏡が仕掛けられているのである。このような小島の志向は、映像作品と平行的に制作し続けている、小学生低学年の頃に描いた絵画を四十数年を経て現在の作品の中に取り込む“Thanks mom!”シリーズにも共通している。このシリーズ名は幼少期に描いた絵を多数、大切に保存していた母への感謝をこめたものなのだが、ここにも美術家としての様々な原基、原風景への回帰の旅が中断されることなく反復されている。

小島久弥の世界は宮澤賢治のような宇宙を場とするよりも、現実が身近にある地平に広がると考えた方が似つかわしい。そこには小島にとってなお未だ見ぬ原風景が残っていると思えるのだろう。それに向かう無限軌道の敷設はこれからも続くに違いない。
馬場 駿吉 名古屋ボストン美術館館長





観る者は、ギャラリー空間に持ち込まれた車の運転席に乗り、カメラカー(模型列車の先頭にカメラを搭載したもの)で撮影された映像を観る。ギャラリー空間及び、車内に敷かれたレールを走るカメラカー。列車は車のインテーク(空気取入口)からギャラリー空間に滑り出す。が、そこにあったはずのレールは、インスタレーションには登場しない。点滅するシグナルと、列車が異空間へと突入する際に通り抜けるホルン(ベル部分)が残されているだけだ。ホルンの穴を覗くと、壁の向こうに設えられたインスタレーションを観ることができる。しかしそれは仄暗く、不鮮明で夢の世界のようだ。同時に観客が身を置く、車内のインスタレーションも多分に幻想的である。

車のインテークは、屋外シーンを撮影するにあたり、カメラカーを設置したポイントであると同時に、映像が照射されるポイントでもある。しかも、ここからカメラカーは車内へ出入りする。
  インプットとアウトプットが全く同じ視点を保っているということ、それは近年、映像作品を制作する上で重要なルールとなっていると小島は言う。虚と実を繋ぐ点として「いま、ここ」で行われていたという事実がキーになるのだと。

非常にパーソナルな体験である筈にも関わらず、誰にも平等に与えられる「生」と「死」は、儀式性を持ち私たちの意識上で共有される。麦わら帽の少年は、サヨナラと手を振るのか、おいでおいでと手招きするのか。弾丸で作られたバースディケーキ、シグナル、黒アゲハ、蝋燭、水晶球、骸骨、火、沸き上る球体、薔薇の花。それらは宇宙、血、胎内、エロス、祝祭などのイメージを喚起させながら、黄泉の国へと導くものであると共に、再生・輪廻を担う存在として配置される。「生」と「死」に気持ちを向ける、その時間を観客にもたらす映像インスタレーションである。



すすめ、ゆめのちゅうとっきゅう (Critical Point“Re’08”のコンセプト画) 1963 - 2008
素材:クレヨン、紙、アクリル板
サイズ:910×1820×35mm

Series Thanks mom!・自画自参 ⇨






World
a woman is catching a light・a man is thinking about…
2008
素材:銀製フィギュア、ガラス球、ステンレス、レンズなど
サイズ:70×180×180mm

 

Critical Point Re 2008
素材:黒アゲハ蝶、ガラス球、造花、
ワイングラス、アクリル板、真鍮など
サイズ:315×230×70mm