個展
 ギャラリーRay
 2003年9月11日[木]-23日[火]
 素材:映像、ガラス机、椅子、スノードーム、水槽など
 Cooperation:Eto Rika, Vamos Crew Co.,Ltd.









2003年9月11日、同時多発テロ「9.11」事件をテーマにしたインスタレーションを発表。事件から2年経たタイミングで何故か、という問いに「政治にくらい自分がこのテーマを手がけることに躊躇していたが、澱のように溜まった気持ちを無視できなかった」と小島は語る。

初日、小島久弥のパフォーマンスと江藤莅夏のポエトリーリーディングによる、公開レコーディングを行ない、レコーディングした映像と音声をインスタレーションした。その映像とは、(未だ貿易センタービルの在る)N.Y.のスノードームを投影したガラスに、バリカンやハサミ、歯ブラシ、ピンセットなど作家自身が普段使用している身の回りの品で不吉な影絵が作られていくというもの。
  また、ギャラリーと向かい合わせたブランクスペースと呼応するように空間を構成することで、映り込みにより、もう一つの展示空間を出現させた。

バックには、夏の一日をモチーフとした「HOLLY=DIE」、小島作の英語詩を翻訳した「Water」9.11をテーマに書き下ろした「9/11の頭痛」を淡々と詠み進める江藤の朗読が流れる。
壁面には小島がかつてN.Y.に滞在した際(9.11以前)に日記代わりに描いたデイリードローイングの上に、今(9.11以後)使用している日用品を置いて撮影した作品が並べられた。





サンプル ⇨









これは、カタストロフィーの数知れない死者たちを悼む追想の映像/詩なのだろうか。

[9.11]から二年を経た2003年9月11日。名古屋のギャラリーレイで小島久弥と江藤莅夏が見せた映像/詩のパフォーマンスは、会場を深い寂寥感で包んでいった。その映像とは、重苦しくも透明感のあるニューヨークの風景。誇らしげな自由の女神の横で、ツインタワーは無惨に崩れ、空からは夥しい雨の雫が落下を続けている。「サヨナラ・・・」。江藤が詩を朗読する間、小島は、バリカン、つめ切り、ひげ剃りといった、卑近な日用品をテーブル状のガラス板の上に無造作に並べていった。

最初は何をしているのか分からなかった。だが、ふと、ニューヨークの風景がスノードームのミニチュアなのだと気付く。そうして、ガラス板に日用品の数々が置かれていくことによって、そのシルエットの組み合わせが、だんだん影絵のようにある形になって映像に加えられていくのだった。その影絵のイメージとは・・・自由の女神の頭上の軍事ヘリと、ツインタワーが崩れた廃墟に立つ巨大な対空ミサイルである。

崩壊後の光景に、黙示的な予感を見てとったのだろうか。だが、小島はポリティカルな作家ではない。だからこそ、玩具と日用品によってしか、崩壊のイメージを作れなかったのではないだろうか。[9.11]という世界の臨界値。小島はこの崩壊を、平凡な量産品でありながら、それを日常的に使っていることで、かろうじて自分の生にかかわっている物の集積でしか構成しえなかった。このとき、小島は、単に[9.11]を追想するのではなく、人間が自らを否定せざるをえない崩壊の感覚、世界を覆う影、見えざる負債をひっそりと引き受けたのではなかったか。

この映像は、個人の質実な生と、遥か彼方で起きた歴史的な臨界との、儚い交感の有りようを示している。無数の意味と空虚がないまぜになった、この耐え難く荒廃した風景に、望みはあるのか。根拠を欠いた[9.11]という歴史の切断面に対して、極私的な虚像を作り上げるために寄せ集められた玩具と日用品。それらこそ、人間の営為の徴であるというその秘やかさにおいてのみ、服従ではなく、希望を見いだせたような気がするのだ。
井上 昇治 
 

その時ワタシはテレビの前、キッチンの【指定席】で突然途切れたドラマの続きとして『9.11』を観た。ツインタワーに突っ込んだ2機の飛行機、崩れるタワー、泣き喚き逃げ惑う人々、粉塵が津波のように襲う、同じシーンが繰り返し、繰り返し流された。余りに映画じみているのに、それは現実だった。

それ以前、その後も含め「こんなこと」は、実態の無い、お化けのようなものが引き起こしているみたいだと思った。しかしそれは全部ナニモノでもない「ニンゲン」の仕業だ。知っている。でも、真実はどこかにあるはずなのに、すべてが肥大しすぎて、何が現実で何が虚なのかもわからない。まるで、巡る哀しみのエネルギー循環だけが規則正しく遂行されているようだった。

この展覧会のテーマが[9.11]になった時、政治的なことはあまり知らないし、深く考えている訳でもない、その思いがブレーキをかけさせた。こんなワタシが[9.11]をコトバにしてもいいのか?自分の日常と世界的な事件とを繋げてみるという小島久弥の試みの元、彼の愛車のミニ・クーパーのルーフトップに置かれた髭剃りや、毛抜き、ハサミ、バリカン、ビタミン剤や水の入ったコップなどに、戸惑いながら見切り発車した恰好のワタシは、ずいぶん助けられた。そう、N.Y.にもアンマンにもバグダッドにも名古屋にも、それぞれの場所にそれぞれの人の数の分だけの日常があり、それを誰も否定できる筈はない。それを否定するものこそが、お化けの正体なのかもしれないな、ぼんやり思い始めた。

偶然空いていたという、ギャラリー隣のスペースを利用した美しいリフレクションは、現と虚、彼岸と此岸、日常と非日常、[9.11]前と後、あらゆる「あちら」と「こちら」を軽やかに往来させる装置のように観えた。その中に自分の声が流れているのが不思議な気もしたが、そこになければならないような気もした。

『9/11の頭痛』は、日常によってしか語ることの出来ない、語るべきではない身勝手な祈りであり、レクイエムである。ワタシが声に変換したコトバ達が、インスタレーションのパーツの一つとして「CRITICAL POINT」の空間を少しでも膨らませる手伝いが出来たとしたなら、それ以上冥利につきることはない。
江藤 莅夏








その時、僕はいつもの店で、いつもの様によく冷えたビールを飲んでいた。店に入ってきた誰かが、この事件を知らせる。テレビの画像を皆で見ながら、直感的に「これは世の中、もっと狂ってゆくな」と思った。

二年後、【9.11】をテーマに作品をつくることにした。何故二年後に?多くの人に訊ねられたこの質問に答えるとするならば、それは興味本位にも近い疑問が起点になっていることを告白しなくてはならない。エンパイヤ、自由の女神、そしてツインタワー、この三点がセットになったN.Yのスノードームは、今どうなっているのだろう。自分が訪れた頃の表面上は穏やかだったN.Yの街、土産物屋で買ったスノードーム・・・スノードームは僕の作品にしばしば登場するアイテムだが、それを透かして【9.11】を捉え直す時、世界はあの時覚えた直感通り、相変わらず螺旋階段を負の方向へ下っているようにしか見えず、自分の心の奥底にあるもやもやとした塊は膨らみ続けるばかりで、敢えて避けて通ることの方が不自然だと思ったからだ。
  「その時ビールを飲んでいた」だけの僕が扱うテーマとしては余りあるものだった。だからこそ僕は、素朴に日々を生きるために必要な日用品を、当時いつも行動を共にしていた車のルーフに置くことからはじめた。ハサミや髭剃り、毛抜きやバリカン、切る・抜く・削ると言った大袈裟に言えば日々の穢れを禊ぐ道具、それは同時に小さな武器でもあった。おもちゃのスノードームと日用品で象られた風景の向こう、そしてブランクスペースに映した虚像の虚像に、critical(=批判・危篤な)pointは果たして現れたのか。

そして今僕は、あのスノードームがどうなっているのか、確かめに行かなければならないと思っている。
小島 久弥