つづくまさとし・豊田市民芸館館長
ギャルリ百草で開催された小島久弥の個展「Critical Point -Day by Day-」は、数寄屋風建築のギャラリー空間を実にうまく使いこなした見応えのあるものであった。観客は雨戸が締め切られて暗室となった古民家(ギャラリー)の中を経巡り、各部屋に設えられた作品を注意深く鑑賞していく。小島はこうした作品を観て巡る体験/旅そのものを展覧会として仕立てあげたのだ。同ギャラリーでは2005年以来、18年ぶりとなる小島の今回の展示は、ここ数年来の彼の活動を総括する内容であったと言えるだろう。
つづくまさとし・豊田市民芸館館長
ギャルリ百草で開催された小島久弥の個展「Critical Point -Day by Day-」は、数寄屋風建築のギャラリー空間を実にうまく使いこなした見応えのあるものであった。観客は雨戸が締め切られて暗室となった古民家(ギャラリー)の中を経巡り、各部屋に設えられた作品を注意深く鑑賞していく。小島はこうした作品を観て巡る体験/旅そのものを展覧会として仕立てあげたのだ。同ギャラリーでは2005年以来、18年ぶりとなる小島の今回の展示は、ここ数年来の彼の活動を総括する内容であったと言えるだろう。
旅で得た豊かな体験が写真だけでは人にうまく伝えることができないように、小島久弥の作品も写真図版ですべてを把握することは難しい。当然、その体験を言葉で補足してもこぼれ落ちるものが沢山あるが、先ずは今展において印象に残った作品を取り上げ、そこから見えてくるものについて記述してみよう。
土間で靴を脱ぎ、建物の最初の間へ足を踏み入れると、大きな黒い鉄板の上に置かれた円筒形の塊に目が釘付けになる。よく見ると、それは多数の細長い筒のような形状を円形に並べたもので、内側に置かれたドライアイスによって白く着霜している。さながらバースデーケーキを彷彿させるその白い塊の隙間からドライアイスの怪しい煙が溢れ出ている。しばらくすると時間とともにじわじわと霜が溶けはじめ、やがて白い氷の結晶によるベールが剥がれていく。中から露わになるのは、なんとサークル状に並べられた弾丸だ。さらに黒い鉄板の下に目を移すと、ドライアイスの冷気によって鉄板の裏に付着した霜が落下して、はらはらと雪のように舞い降りていることに気づくだろう。ここに至って鉄板の下に置かれた軍用車のミニチュアの謎も明らかになる。この軍用トラックは除雪した雪を運んでいる。《Unbirthday》と意味深長なタイトルがつけられたこの作品は、誕生ケーキの平和で幸福なイメージと、弾丸、軍用車という戦争のイメージとが表裏一体となって結びついている。
別の間には、人の背丈ほどのガラスの筒が直立している。透明な筒の中では、シャトル状に組んだ白い羽がくるくると回転しながら、ゆっくりと上下運動を繰り返している。その羽の動きは実に美しい。まるでマジックを見ているような光景だ。タイトルは《Air Current(気流)》。キャプションによれば、ここに使用されているのは鳩の羽らしい。アルコールランプの火で温められた気流によって、平和の象徴である鳩の羽が上がったり下がったりする様をじっくり知覚する作品である。平和とは実に繊細で、ちょっとした時流の変化でバランスを崩してしまうものであることを教えてくれる。
いずれの作品も、物質がある状態から別の状態へと変動する瞬間や様子が取り入れられている。同時にそこでは、平和と戦争、生と死といった、相反するイメージの交差する瞬間がみごとに視覚化されていると言えるだろう。小島が長年、制作のテーマに掲げてきた「Critical Point(クリティカルポイント)=臨界点」をめぐる意識や思考、実践をよく示す好例である。そもそも「臨界点」とは物質が状態変化を起こす境目のこと。小島はこうした物質の変わり目のみならず、虚と実、生と死、遠と近といった異なる概念があたかも同時に存在するような、“不二”の瞬間との出会いを求めて制作を展開してきた。虚実皮膜のあわいに芸術の真実があると言ったのは江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者、近松門左衛門であるが、演劇であれ、美術であれ、音楽であれ、この世に優れたと言わしめる芸術表現は、このクリティカルポイントをいかに作品に定着させるのかにかかっているのだ。
小島久弥がクリティカルポイントを作品として造形化する時の行為や実践は、「精緻」「繊細」という言葉がぴったりとくる。その精度の高い表現は、いかにも最新のデジタル/ヴァーチャル・テクノロジーが用いられているように見えるかもしれない。しかし実は、その対極にあるアナログでローテクとも言える仕組みがこの作家の表現を支えているのが面白いところだ。
例えば今回のメイン作品と言っていい《光の露》は、一室丸ごとカメラ・オブスクラ(暗室)の原理が用いられている。いわゆるピンホール(針穴)による光学現象で、壁の小穴から暗い部屋に差し込む光が、内壁や床面に外界の風景を映し出すものだ。これまでも、小島はさまざまな場所でピンホールを用いた作品を展開しているが、今回は枯山水(あるいは原子爆弾の炸裂による衝撃波?)のように砂で波紋を描いた床に、倒立した樹々などの像が投影されるようにした。部屋をそのままカメラにするこの作品は、不断に“今・ここ”を映し出す、文字通り「サイト・スペシフィック」な実践となった。
また、映像インスタレーション《ピース》
では、カメラとプロジェクターが生み出す「ヴィデオ・フィードバック」という現象が使用されている。最もよく知られたヴィデオ・フィードバックはモニターに接続したカメラでモニター自体を撮影した時に起こる、合わせ鏡のような現象である。入力(撮影)と出力(投影)のループが繰り返されることにより、遅延した映像が重層化する現象は、初期のメディアアーティストたちに注目され作品に用いられた。この作品では、部屋の中央に置かれた丸テーブルの上に載った、街並みのような金属部品とライトを照射しながら回転する灯台を被写体にして、カメラとプロジェクターを用い同じような現象を創り出した。面白いのは、カメラとプロジェクターと回転する灯台の光が一直線上に重なった時に光のハレーションが発生することだろう。部屋に投影されたその夢幻的な映像は、街を殲滅するかのような不穏な雰囲気を醸し出していた。
「カメラ・オブスクラ」に「ヴィデオ・フィードバック」。現代のデジタル化、ヴァーチャル化の流れとは大きな隔たりがある仕組みである。小島に聞けば、自分にとってこうしたローテクな手法にこそものづくりの面白みがあり、それを作品に駆使しようとするアイデアは、あくまで身近に転がっている事柄や日常の出来事からの思いつきだという。確かな手触りのある手法を用いて、思いついたこと、やりたいことと、実現可能なこととのせめぎ合いの中から、ぎりぎり表現を成立させていくのが小島特有の制作の仕方と言えそうだ。それにしてもその思いつきを高度に具現化し作品へと昇華させてみせる手腕には、常に驚かされる。
もうひとつ、小島の制作プロセスにおいて指摘しておきたいことがある。彼は子どもの頃に得た忘れられない出来事や経験を、作品づくりのエッセンスに取り入れているということである。それはこれまで小島が自作について綴った幾つかのテキストのなかで、幼少期の記憶と自身の作品との関係について記していることからも明らかだろう。驚くことに、大人になった小島が、子どもだった過去の自分と実際に手を組んで作品を創りあげてしまうこともある。
それが作品として大きく花開いたのが“Thanks mom! 自画自参”シリーズである。母親が保管していた小島の幼少期の絵を、現在の小島が周囲に拡張して描き足す。ひとつの絵の中で過去の自分と現在の自分が出会うのである。ここでも小島の一貫した関心であるクリティカルポイントが表現されていると言って良いだろう。このシリーズの中の1点 《白い鳥》では、幼い頃(1963年)に小島が描いた家の絵を元に、2018年に小島がその周りの世界を延長して描き広げている。小島は、子どもの頃に描いたこの家の周囲をドームで囲ってシェルターのようにし、白い鳥が飛ぶ風景を描き足したのである。
ともあれ、この絵の上部に波紋のように広がる光源(熊谷守一が描いた同心円シリーズを彷彿させるかたち)の正体はいったい何なのか—それは見る人に委ねられているのだ。
新型コロナウイルス感染症によるパンデミック
ロシアによるウクライナ侵攻と長期化する戦況
繰り返される北朝鮮のミサイル発射
地球規模での環境問題や気候変動、多発する自然災害
中東アジアでのパレスチナ問題…
近年、この地球上で起きている危機的な出来事。それらはいくら書き連ねてもキリがないほどだ。我われ自身の身にも何らかの危難が差し迫っているような切迫感は、誰もが薄々感じているだろうし、ただ気づかないふりをしているだけなのかもしれない。
これまでにも増してポリティカルで、どこか不穏な雰囲気が漂うものがあった今回の小島久弥の個展「Critical Point -Day by Day-」。副題の「Day by Day」は「日ごとに」「一日一日と」を意味する。そう、私たちの身近な生活にも日に日に、そして確実にクリティカルポイントが近づいている。いや、今がまさにクリティカルポイントなのかもしれない。平穏で当たり前の暮らしとそうした日常が一瞬にして崩れ落ちるような災禍とは、いつも背中合わせなのだ。一人ひとりの日常、当たり前の暮らしが積み重ねられた日々、その美しさと尊さ、それを脅かす見えないお化けのような存在について、今回の小島の個展は、さまざまな角度から考えさせるものではなかったか。
小島は語る。「戦争や核兵器のことなど、自分が体験していないことをテーマにしても表現として地に足がついていないと言われるのかもしれない。がしかし、どうしても見過ごすわけにはいかないのだ」。作品のアイデアを、いつもまるで子どものようなキラキラした目で語りかけてくるこの作家の内に、こんな熱い一面があることに驚かされる。私たちはこうした作家の真摯な表現を通して、目の前に広がる世界についてじっくり考え、未来を想像するチャンスを与えられているのだ。
最後に、2021年、惜しまれながらこの世を去った作家、クリスチャン・ボルタンスキーの言葉を記しておこう。
実に悲しい時代です。
アートは政治を変えられません。
でも見る人の人生を少し変えることはできます。
だから、すべての人に語りかけたい。※
※ 朝日新聞 2019年 6月15日
「ひと−東京で回顧展が始まったフランスの現代美術家
クリスチャン・ボルタンスキーさん」