聞き手 = 都筑 正敏
― 今回、私ども美術館側から小島さんに、次世代を担う子どもたちに向けた展覧会づくりを依頼しました。初めてこのような展覧会を手掛けられて意識した点や、子どもたちの反応も含めてどんな感想を持ったのか、お聞かせください。
子どもたちの反応が予想以上に良くて、安心しました。普段子どもに接していませんから、どういう風にすれば子どもたちの反応を導き出せるのかわからない。今回は、「自分がもし子どもだったら、これって面白いだろうな…」という直感を大切にして、展示を組み立てました。
聞き手 = 都筑 正敏
― 今回、私ども美術館側から小島さんに、次世代を担う子どもたちに向けた展覧会づくりを依頼しました。初めてこのような展覧会を手掛けられて意識した点や、子どもたちの反応も含めてどんな感想を持ったのか、お聞かせください。
子どもたちの反応が予想以上に良くて、安心しました。普段子どもに接していませんから、どういう風にすれば子どもたちの反応を導き出せるのかわからない。今回は、「自分がもし子どもだったら、これって面白いだろうな…」という直感を大切にして、展示を組み立てました。
アートに、大人も子どももないのでしょうが、やはり子どもにはわかりにくいものもあれば、逆に大人だと気づけないこともあると思うんです。ただ、今回の展示では「子どもに向けた展覧会」ということは、確かに意識しました。たとえば、映像の最初に「本」を登場させたのは、僕なりのこだわりでした。汽車の運転席の視線から、最初に「振り子時計」を潜り、次に見えてくるのが「街路灯」なのですが、近づいていくと、本を読むための「卓上ライト」だった、というダブルイメージから始まります。次に豆本から順に大きな本になっていき、宇宙のビジュアル本の間を通り抜けていく…。「さあ、お話を始めますよ」という感じでスタートしたつもりです。
― 昨年の秋から展示作品の内容について検討を始めました。小島
さんからいろいろなプランを提案いただきましたよね。最終的には展覧会のメインの作品は、汽車の旅をテーマにしたインスタレーションと子どもたちが汽車の運転手になって不思議な世界を旅する映像作品とすることに決定しました。模型列車の先頭車両に小型カメラを乗せて撮影するカメラカーを用いた作品は、以前から制作されていますよね。いつ頃から発表されているのですか。
2005年、岐阜県多治見市の「ギャルリ百草」で個展をしたときに、初めて鉄道模型を使いました。このギャラリーの建物は、半数寄屋造りの古い家屋を移築したものだったんです。日本家屋のイメージから一番遠いものをぶつけてみたら、面白いものが生まれるのではないかと考えました。
日本家屋には当然、縁の下がある。そこに鉄道模型のレールを敷き、カメラを積んだ列車で撮影することを思いついたんです。縁の下は暗いため列車にライトを積みましたが、それが意外に求心力を持つ画像づくりに役立ちました。そして畳上のインスタレーションと縁の下の関係性を示しながら、撮影した映像を組み合わせて展示するというかたちで発表しました。鉄道模型が、特別に好きだからというわけではないんですよ(笑)。
― 小島さんが、これまでの日常の中で発見したものや気になったものがこの展示室に集合しています。それらを線路で繋ぐことで、ひとつのストーリーやメッセージのようなものが浮かび上がってくるのは面白いですよね。たとえば、どんなことを意識してインスタレーションをされたのでしょうか。
そうですね、「ゴリラ」と「クジラ」が合体して「ゴジラ」になったという言葉遊びも交えながら、パラパラマンガの手法を取り入れて、「ペンギン」→「飛行機」→「ロケット弾」に変わっていく様を見せたり、核実験の落し子である「ゴジラ」の股下を抜け、トンネルを潜ると「薬莢」に出会う。「薬莢」はもちろん戦争を象徴したものですが、円型に並べることで墓地のイメージも彷彿とさせます。このシーンでは効果音として、軍隊が行進しているような音を加えました。それを通過するとブランコに乗った「骸骨」や、死者に手向ける「白い花輪」が待っている。そして、「自分自身(オーディエンスが乗っている汽車そのもの)」に出会う、さらに合掌を意識して左右に配置した、陶製の「大きな手のひら」の間を走り抜け、最後は眩惑して終わる…という感じかな。
― なかなか子どもには、そこまで読み込むのは難しいですよね。
それは確かに難しいでしょうね。大人ならともかく。でも、読み解けないとしても、子どもなりに何か雰囲気のようなものを感じてくれればいいと思っていました。
― この映像の最大の見せ場といえるのが、列車がトンネルを潜った後に出現する光景、実空間にあたかも実物の列車が走り出してきたかのような映像体験だと思います。このアイデアは、どのように生まれてきたのですか?
撮影の仕組みについて、言葉ではうまく説明できる自信がないのですが…。小さなトンネルの形状をカッティングした磨りガラス状のアクリル板の背後から、カメラカーが撮影している映像をプロジェクションした状態で、同時にその板の正面からトンネルを通過してくる列車を撮影する、という入り組んだ方法を用いています。以前より、カメラで何かを撮影するときに、光に向かっていくと、ハレーションをおこすという現象に関心がありました。別の言い方をすると、映像を撮っているカメラと、その映像を照射するプロジェクターの目線を向い合わせにしたり、カメラのレンズ位置とプロジェクターのレンズ位置を同じにしたら、どうなるだろうというようなことを、ずっと考えていたんです。そんなことを考えている時に、あのアイデアが浮かびました。
― 私は撮影現場を見ているので、小島さんの説明が理解できるのですが、なかなかこうした撮影のメソッドは、複雑で伝わりにくいですよね。
んー、わかりづらいでしょうね。まあ、実際は頭で考えたことをそのまま実現させるだけではなく、「もっとこうしたら面白くなるのでは?」ということを模索して、頭と手を動かしながら作っていくわけで。現場でいろいろと試行錯誤をして失敗しながら出来上がっていくんですけどね。
― 今回は実際の展示、撮影、編集に半月を費やしました。私も展示と撮影のサポートをしたのですが、モノの見え方、光と影の効果、モノが現れるタイミングなど、ここまでやるのか?!と思うほど注意を払い十分に吟味して作業を進められていたのが印象的でした。
ところで、小島さんは1990年代より、夢と現実が交わるような状態、水や光が変化する瞬間など、様々な現象における「境界」を「クリティカルポイント(臨界点)」と呼び、作品のテーマとして追求してきました。これを子どもに向けた展覧会のテーマとして言い換えたのが、本展のタイトル 「あっち?こっち?どっち?」ですよね。
そうです。「クリティカルポイント」や「臨界点」を、これまでテーマとして使ってきたのですが、ずっと前からもっとわかりやすい言葉がないかなと思っていたんです。そして、今回子どもに向けた展覧会をつくることになって、「あっち?こっち?どっち?」というタイトルが頭に浮かびました。これは大人向けの展覧会では、なかなか思いつきませんよね。
それから、このタイトルを口にした時の響きは、会場に設置されている振り子時計の音にも関連しています。振り子時計が時を刻むときの音がぼくには、「あっち?こっち?どっち?」とも聞こえるんです。
― なるほど。そういえば、振り子時計といえば、宮沢賢治原作のアニメーション映画『銀河鉄道の夜』にも出てきます。
そう、あの映画では大きな振り子時計が登場しましたね。『銀河鉄道の夜』の内容も、あっちとこっちの世界を行き来する物語でした。ぼくも大好きな作品で、大きな影響を受けています。
― 今回の展示は、子どもたちのみならず、大人たちにも知的な発見や揺さぶりを与えたようです。その理由は、小島さんの作品には、誰もが子どもの頃に感じていたドキドキや好奇心のようなものを覚醒させる力があるからだと思います。それはたぶん、小島さんが自分が子どもの頃に体験した忘れられない記憶や経験を、作品づくりのエッセンスに取り入れているからではないでしょうか。大人になった小島さんが、子どもの小島くんと手を組んで作品をつくりあげてしまう、そんな印象を受けました。それが作品としてはっきりわかるのは 〈 Thanks mam! 〉 シリーズですね。このあたり、自覚されているのでしょうか?
実は、今回の展示の設営をしながら思い出したことがあります。それは、ぼくが幼稚園の頃に、遊びに行ったおばあちゃんの家のことです。おばあちゃんの息子はどこかの大学の先生で、そこには、飛行船の模型や、惑星の軌道がわかるオブジェなど、サイエンティフィックなものがたくさん置いてありました。庭には、薔薇で造形されたアーチ型のトンネルがありました。ぼくは三輪車に乗って、いろんな想像を巡らせながら、何度も何度もトンネルを潜って遊んでいました。今回の制作では、そうした幼少期の記憶との繋がりを感じました。
幼稚園から小学校低学年くらいの頃って、とても大切な時期なのではないでしょうか。もしかすると、人生を決定づけてしまうような出来事を体験するかもしれない。
― 最後に。今回のプロジェクトの成果は、小島さんのこれからの活動に変化をもたらす、そんな予感はありますか。
子どもの反応というのはストレートで正直です。列車の影にバイバイする子、映像の列車がこちらの空間に出てきたときに、触りに行こうとする子もいました。そういう反応を何度も見ることができて、本当にうれしかったです。今後もいろんな鑑賞者にむけて、今回の子どもたちと同じような反応を引き出せる作品をつくっていけたらいいなぁ、と。今回の経験は、これから作品をつくっていくうえで、大きなプラクティスになったと思っています。
凝り固まった価値観をも乗り越えちゃう、あらゆるオーディエンスが持っているであろう「子どもの心」に響くような作品をこれからもつくっていきたい、そう改めて思いました。
w.n.project 江藤 莅夏
美術館に着くと、廊下の向こうから子どもたちの明るい声がきこえてきた。愛知環状鉄道の模型に手を伸ばし、監視員に制止される子。展示を見終わったばかりの女の子が「あっち!こっち!どっち!」と、うれしそうにはしゃいでる。「2回目も観るんだっ」整理券を取りに向かう家族連れ。「映像がはじまると、しきりにインスタレーションを振り返っていたんです。不思議ですね。こんなにチビでも何か感じているんでしょう」乳児を抱いた父親がいう。
w.n.project 江藤 莅夏
美術館に着くと、廊下の向こうから子どもたちの明るい声がきこえてきた。愛知環状鉄道の模型に手を伸ばし、監視員に制止される子。展示を見終わったばかりの女の子が「あっち!こっち!どっち!」と、うれしそうにはしゃいでる。「2回目も観るんだっ」整理券を取りに向かう家族連れ。「映像がはじまると、しきりにインスタレーションを振り返っていたんです。不思議ですね。こんなにチビでも何か感じているんでしょう」乳児を抱いた父親がいう。
私たちにとって初めての子ども向け企画ということで、戸惑う場面も多くあった。しかし常に「子ども騙しでなく、大人も子どもも楽しめるものを」という意識をもって制作にあたった。
入口のトンネルを潜った空間は、あちらとこちらの境界領域。暗さは畏れも呼ぶが、同時に安堵も感じるのは、胎内回帰効果だろうか。部屋を回る影を追いかける子どもたち。声に促され次の部屋に歩を進めれば、きらめきながらも不穏な箱庭世界が広がる。何だろう、コレ?その答えは直後、目にする映像が教えてくれる。さあ、さまざまなものを潜り抜け、すり抜け、出会い、別れる、不思議な世界の旅へ出発進行!
列車が床面に滑り出した瞬間、無音になる。現実世界に引き戻され、振り子時計の音を気にする子。列車を掴もうと映像に歩み寄る子。また映像の観賞後、インスタレーションをつぶさに確認して回る子どもたちの姿も、印象に残っている。
レールを指で追う。薬莢の並ぶ鏡面を覗き込む。「わかった、いま観た壁の向こう側にこの世界があるんだよ!」と一瞬に理解を深める子もいた。暗いのが苦手で泣き出したり、体験型でない内容に退屈だったという意見もあるだろう。それでも私は会場を訪なう度に、キラ輝く、ぐっと胸が熱くなる瞬間を幾度も体験したのだ。
時計の中に軍用品のミニチュアが置かれていたこと。豆本の中に「死」というタイトルがあること。頭をみせていた鯨が尾っぽに変わっていること。透明な地球儀の影が壁面に落ちること。ダビデ像を小さな小さなフィギュアが支えていること…映像にはあるのにインスタレーションにはないもの、インスタレーションにはあるのに映像にはないもの、私たちはそれらを、観て、感じて、考える今展の、鑑賞者の気づきや想像を膨らませるための、ちょっとした鍵として盛りこんだ。すべてに気づいた人は、少なかったかもしれないが。
ワークショップの終了後、とある少年が口にした言葉が忘れられずにいる。
「コジコジ、また明日もやろうよ!」
今でも、観てくれた人たちの心の原野を、あの列車が走っていてくれるといいな。ふと、そう思うことがある。