作家の母親が取っておいてくれた子どもの頃の絵、それを元に現在の自分が世界を描き広げていくドローイングシリーズ「Thanks mom! 自画自参」。過去と現在が相互作用を起こしながらつながり、新たな1枚として成立するよう描かれている。
"Thanks mom!" 1963~2007
thanks mon!
crayon on paper on wooden panel 127.0×91.0cm
"ぞうのゆめ" 1963~2007
elephant's dream
crayon on paper on wooden panel 91.0×127.0cm
絵の裏に書いてあった文には 「おかあさんとおとうさんがしんでしまったのです」 とあるが、檻に入っている象が子ども心にもかわいそうだと思っていたのだろう。それなら、檻から飛びだしてお父さんを追いかけているように自画自参。 タマキンはお父さんと同じだ !
"花火花" 1963~2007
spark of fireworks
crayon and pencil on paper on wooden panel 91.0×127.0cm
壊れてしまったプラモデルに花火を向けて 「コーゲキだぁー!」 やりました。やっていました 。
でも、学校の図工の時間では、そのことは描きませんでした。描けませんでした。きっと、どこかで 後ろめたい気持ちを持っていたのでしょう。
大人になってから、そのことを告白するために自画自参。おばあちゃんは 「わしは、打ち上げ花火の音は嫌いや。空襲を思い出すから」 と言っていました。
今、世界中にある、どうにもならないどうしようもない火花。
いつか消える日は来るのでしょうか。
左上の黒い戦闘機は「あかり」にも登場します。
"絵のなかの絵" 1963〜2007
the best picture in the picture
crayon on paper on wooden panel 127.0×91.0cm
見れば見るほど奇妙な絵だ。元となった絵の画面中央、緑色のシートには男の子が座っている。それは線画で描かれているので絵のようにも見える。右下に立っている女の子は、なぜか風景画(画中画)を持っている。その男の子と女の子をスイッチして自画自参。周囲の景色も元の絵を忠実に拡大模写した。
虚と実、自己と他者、さらには時間的概念を操作した、これぞまさしく 『絵のなかの絵』 なのだ !?
"ガーキチハ、アヒルデアル" 1963~2007
Gaa-kichi is a duck
crayon on paper on panel 91.0×127.0cm
スキーなど一度も行ったことがなかったのに、よく描いたものだ。当時、飼っていた真っ白なアヒル、「ガーキチ」の最期を重ね合わせて自画自参した。
"五十のとう" 1963~2007
50 five-storied pagodas
crayon on paper on wooden panel 91.0×127.0cm
名古屋市昭和区、八事山興正寺の五重の塔。塔の屋根に金鯱を描いているが、実際、確認に行ってみたところ鯱などなかった。おそらく本堂か中門の鯱と混同したのだろう。それらの鯱も金色ではなかったが。
本来ならば 「五重のとう」 と書くべきところ、間違えて 「五十のとう」 と書いている。そこで、49の塔を描き加えて50の塔に自画自参。ちなみに、この作品を制作している時、ちょうど50歳だった。
"ボクたちはドコから来て ドコへ行くのだろう" 1963~2007
Where do we come from? Where are we going?
crayon on paper on wooden panel 91.0×127.0cm
小学2年生になり、うれしくて、うれしくて仕方がなかったことを覚えている。元となった絵には、張り切って一番前の席で授業を受けている自分を描いている。 絵の裏にも 「うれしいな二ねんせい」 と大きな字で書かれていた。
周りの空間をそのまま描き拡げ、黒板には「ボクたちはドコから来てドコへ行くのだろう」とポール・ゴーギャンの言葉を書いた。
未来への希望を託して。
"Critical Point 50≒0" 1963~2007
critical point 50≒0
crayon and pencil on paper on wooden panel 91.0×127.0cm
50≒0
僕は50になる。こうやって活字にすると、50て何のことか判らないと思ったんだけど、どう考えても年齢のことだよね…。
生まれついての照れ屋なので自分のことを書くのはずいぶんと恥ずかしいんだけど。「50歳なんてアーティストとしてはベイビーだ。」 アメリカではよく言われているらしい。だとすると、僕もやっと、スタートラインに立てたのかもしれない。
溜めた雨水を使ったり、水の三様態を可視化する装置を作ったり、光の映し出す偶然の一致を取り込もうとしたり… そっけなさそうに見えながら、自然そのものが、随分大切なインスタレーションの一部、いや核になっていたんだなと思う。そして、新たな発見にワクワクしたり、余りのはかりしれなさに畏敬の念を抱いたりしながら、自然と接していると、心底「参ったなぁ、敵わないなぁ」と思い知らされるのだ。
それでも表現したいもの、それは僕が見るユメの一部 「点」 のようなものなのかもしれない。それを色々な人と関わり合いながら、自然にチカラを貸してもらいながら 「線」 に引き延ばし、カタチ作る。けれども、そいつはまだペラペラの 「面」みたいなものでしかない気がする。それを本当の意味で 「空間」 =現に立ち上げるのは、やっぱり観てくれる人の存在があってこそなんじゃないか、って。
この絵は2007年、みのかも文化の森 美濃加茂市民ミュージアムで行った個展 『Critical Point 50≒0』 での、映像インスタレーションのコンセプト画です。
2007年 9月 小島久弥
"FAMILY" 1964~2008
family
watercolors and crayon on paper mounted acrylic board 91.0×127.0cm
元となった絵は、はじめて描いた水彩画だ。家族でどこかに出かけた時の光景だろう。中央には、妹が何かを手で受けとめているような姿が描かれている。が、どこに何をしに行ったのか、まるで覚えていない。記憶にはない思い出をスノードームに閉じこめた。
自画自参シリーズは基本的に元の絵には手を加えないルールなのだが、ポンチで穴を開け雪を表現した。本来、スノードームの中に降るはずの雪を外側に降らせ、スノードームの中に降り込んだ雪を妹が受け止めているように自画自参した。
"はな" 1962〜2008
flower
crayon and pencil on paper mounted acrylic board 127.0×91.0cm
元となった絵の花(白い椿)の周りには放射線状に鉛筆で線描きがあった。その線を背景ごと延長し描き足した。絵画教室の先生の教えもあり画面いっぱいに描く癖がついたお陰で、気持ちよく描き拡げ自画自参できた。制作している時は、 子どもの頃のパワーがそのまま乗り移ったような気がした。
"なつやすみ" 1963〜2008
fsummer vacation
crayon on paper mounted acrylic board 127.0×91.0cm
僕が子どもの頃は、夏になるとまずニーニィ蝉が一番に出てきて、次にアブラ蝉、そして、クマ蝉の順番だった。
ニーニィ蝉は 「ニーニィ」 と鳴き、結構、低いところにとまっていて、ちょっと鈍感なので素手でも捕れた。アブラ蝉は 「ジィジィ」 とうるさく、お宮さんで毎日のように虫かごいっぱいになるまでタモで捕った。
クマ蝉は最も高いところにとまって 「シャーシャー」 と鳴いた。クマ蝉の声を聞くとソワソワして駆け出した。上級生が長い竹竿にハエ取りモチを付けて捕っていた。それを見て、僕は蝉の王様の透明な羽を、モチでベタベタにするのはいかがなものかと思った。やはり、無傷のクマ蝉を捕獲した者が “夏休みのヒーロー” だった。
近頃のクマ蝉はどうしたものか、地位を落としてアブラ蝉に紛れているようだ。
"すすめ、ゆめのちゅうとっきゅう" 1963〜2008
Go! Shinkansen dream superexpress
crayon on paper mounted acrylic board 91.0×182.0cm
ゆめのちゅうとっきゅう
「1964年の東海道新幹線開業時に開発された初代の新幹線0系電車、『夢の超特急』 2008年11月30日に、定期運用を離脱。同年12月のさよなら運転を最後に引退」 このニュースを知った時、とても驚いた。 「ちょうとっきゅう」 を 「ちゅうとっきゅう」 と覚え間違えたのか、書き違えたのだろう。僕が 「ゆめのちゅうとっきゅう」 を描いたのは1963年。白黒テレビで見た試験運転中の新幹線の映像をヒントに描いた。この絵に自画自参した同じ年に、『夢の超特急』がさよならするなんて。偶然とは言え、ほんとうに夢のようだ。
この絵は、2008年の個展で制作した映像インスタレーション 『Critical Point Re ,08』 のコンセプト画です。
2008年 11月 小島久弥
"ゆうひので" 1963〜2009
sunriset
crayon and pencil on paper mounted acrylic board 91.0×127.0cm
静物画の赤いテーブルクロスを太陽に見立てて自画自参。
太陽は昇っているようにも、沈んでゆくようにも見えるので、題名を夕日+日の出 = 《ゆうひので》 とした。
"レース" 1963〜2009
race
crayon and pencil on paper mounted acrylic board 91.0×127.0cm
ボートレースなど見に行った記憶はないのに何故この絵を描いたのだろう。元の絵を中央に配し、周りにボートをそのまま拡大模写をし自画自参した。
"ぼくらのプラネットホーム" 1963〜2014
Our Planet - home
crayon on paper mounted aluminum board 91.0×182.0cm
ぼくらのプラネットホーム
元の絵は汽車と電車が一緒に走っている妙な絵だ。画面右下に描いた列車(映像作品 《Train》 に登場する列車)の色は、 オリジナルの 《汽車電車》 の色になぞらえた。そして、汽車電車の車両編成は、Trainと同じ色にして描き足した。
また、画面左にはインスタレーションに使用したモチーフを、小学6年生くらいの自分になりきり描いた。中でも核実験の落とし子であるゴジラを一番大きく描き、光線を吐かせた。ビキニ島と福島第一原発を指す光線で、これからも直面していかざるを得ない、核や放射能問題への憂いを表した。
世界のあちこちで、未だ争いは繰り返され、貧困の差はますます激しく、気象は異常を来たし、ウィルスが蔓延し、弱い者から次々に命を落としている。現在も過去も未来も、うれしい、たのしい、うつくしい、こわい、かなしい、くるしい…さまざまな出来事が起こり続けるこの世界で、僕たちは一体どこへ向かっていくのだろう。
この絵は2014年、豊田市美術館で行った 『あっち?こっち?どっち?』 展での、映像インスタレーションのコンセプト画です。
2014年 7月 小島久弥
"白い鳥" 1963~2018
White Bird
crayon on paper mounted aluminum board 127.0×91.0cm
元の絵は雨降りの夜、不安気に家の中で寝ている自分と家族の様子を描いている。ドーム状のバリアを描き足し、家を包みこむことで安心して過ごしているように自画自参。空には太陽、あるいは閃光にも見える同心円と平和の象徴である白い鳩を描いた。
"あかり" 1963〜2024
light
crayon and pencil, collage on paper on wooden panel 127.0×91.0cm
私たちの町にも戦争があった
元の絵は何気ない日常のようだが、戦闘機のようなものが描かれているせいか、何か不穏な感じがする。この絵を窓越しの風景に見立て、普段は思いを馳せることのない 「灯火管制の灯の下で遊ぶ子どもたち」 をモノクロームで自画自参した。
僕が子どもの頃、B29のプラモデルで遊んでいた時、大人は何も教えてくれなかった。おそらく、戦争について語ることに、ためらいがあったのだろう。正直なところ、僕自身の中にも戦争について、忘れてほしい/知っていてほしいという気持ちが同居している。でも、戦争は過去のものではなく、今も世界のあちこちで起こっているという現実。またひとつ間違えば、自分たちも巻き込まれてしまうかもしれないということは忘れたくない。
だからこそ「私たちの町にも戦争があった」ことを知り、そこから平和とは何かを考えるきっかけになればと思う。僕自身も同じく。
この絵は2024年、一宮市博物館で行なわれた 『戦時下の一宮』 展のコンセプト画です。
2024年 7月 小島久弥
"あぱーとめんと" 1963〜2009
apartment
crayon and pencil on paper mounted acrylic board 82.0×50.0cm
小学校の図工の授業で、画用紙を2枚重ねて窓のある絵を作った。窓を開くと人や動物がそこで暮らしている 様子が見えるというものだ。それを元に下方を作り足し、アパートにした。
"月もみてた" 1962〜2009
moon was also seeing…
crayon on paper mounted acrylic board 50.0×104.0cm
4歳頃に描いた2枚の絵、三日月(あるいはバナナ?)が帽子を被りズボンを履いた絵と、走っている自動車を描いた絵を組み合わせた。子供の頃から好きだった、夜、車に乗っていると月が追いかけてくるように見える現象「月の錯視」(僕は「追い月」と呼んでいた)を思いだし自画自参した。
"はなでんしゃ" 1962〜2009
festival of flower tram
crayon on paper gilded with gold leaf and silver and ancient leaf 46.0×59.0cm
かつて名古屋には市電が走っていた。名古屋祭の夜、市電は電球でデコレーションされた「はなでんしゃ」 となった。、まださほど灯りの多くなかった街を明るく照らして走る様子が、僕は大好きだった。花電車がいつまでも走り続けられるようレールをループにし、金箔を施すという、大人になったからこそできる技法を加えた。
"ぱれーど" 1963〜2009
parade
crayon and pencil on paper mounted acrylic board 50.0×104.0cm
街やデパートの屋上を描いた元の絵を左右、下方へ線対象に展開模写し自画自参。
描き進めていくうちに、September 11th attacksの記憶が蘇ってきた。
"Gokko" 1962〜2009
play
crayon on paper mounted acrylic board 50.0×104.0cm
軍艦と戦車が描かれた2枚の絵を組み合わせて自画自参した。
どうして子どもは、戦争が好きなんだろう。 “ごっこ”で終わればいいのだけれど。
"なつやすみに" 1962〜2009
in summer vacation
crayon on paper with gold leaf and silver and ancient leaf 18.0×25.5cm
4歳の頃描いた絵に、金箔と古代箔を施すことで、文字通り「絵に箔を付けた」。
"きんぎょ" 1962〜2009
goldfish
crayon on paper with gold leaf and silver and ancient leaf 18.0×25.5cm
4歳の頃描いた絵に、金箔と古代箔を施すことで、文字通り「絵に箔を付けた」。
"ここにいろをぬろう" 1962〜2009
Let's color here
pencil on paper with gold leaf and silver leaf 24.0×33.0cm
4歳の頃描いた絵に、金箔と古代箔を施すことで、文字通り「絵に箔を付けた」。
"つぼ" 1962〜2009
jar
pencil on paper with gold leaf and silver and ancient leaf 24.0×33.0cm
4歳の頃描いた絵に、金箔と古代箔を施すことで、文字通り「絵に箔を付けた」。
"+" 1962〜2009
+
pencil on paper with gold leaf and silver leaf 24.0×33.0cm
4歳の頃描いた絵に、金箔と古代箔を施すことで、文字通り「絵に箔を付けた」。
つづくまさとし・豊田市民芸館館長
小島久弥は子どもの頃に得た忘れられない出来事や経験を、作品づくりのエッセンスに取り入れている。それはこれまで小島が自作について綴った幾つかのステイトメントのなかで、幼少期の記憶と自身の作品との関係について記していることからも明らかだろう。驚くことに、大人になった小島が、子どもだった過去の自分と実際に手を組んで作品をつくりあげてしまうこともある。それが作品として大きく花開いたのが“Thanks mom!・自画自参” シリーズだ。
つづくまさとし・豊田市民芸館館長
小島久弥は子どもの頃に得た忘れられない出来事や経験を、作品づくりのエッセンスに取り入れている。それはこれまで小島が自作について綴った幾つかのステイトメントのなかで、幼少期の記憶と自身の作品との関係について記していることからも明らかだろう。驚くことに、大人になった小島が、子どもだった過去の自分と実際に手を組んで作品をつくりあげてしまうこともある。それが作品として大きく花開いたのが“Thanks mom!・自画自参” シリーズだ。小島の母親が保管していた彼の幼少期の絵を、現在の小島が周囲に拡張して描き足す。ひとつの絵の中で過去の自分と現在の自分が出会うようにして新たな絵画をつくりあげるのである。作家は母親が彼の幼少期の絵を大切に残してくれていたことに深く感謝しつつ、50歳の節目からこの連作をスタートさせた。
“Thanks mom!” シリーズは、一見すると小島の立体や映像を用いた作品とは趣を異にする。が、ここでも小島が長年、制作のテーマに掲げてきた「Critical Point(クリティカルポイント)=臨界点」が表現されているとみてよいだろう。そもそも「臨界点」とは物質が状態変化を起こす境目のこと。小島はこうした物質の変わり目のみならず、虚と実、生と死、過去と現在といった異なる概念があたかも同時に存在するような、“不二”の瞬間との出会いを求めて制作を展開してきた。“Thanks mom!” シリーズではまさに過去と現在が混じり合い往還しているような状態を提示し、超現実的な「新たな過去(Neo Past)」ともいうべきイメージを生み出したのである。
私たちは皆、子どもの頃の記憶や経験を土台にして想像力を逞しくし、大人になっていく。“Thanks mom!” シリーズを前にすると「これからの世界をどう拓くかは僕たち次第だよ」という作家の声が聞こえてくるような気がした。
小島 久弥
僕の母は不思議なこだわりのある人だ。
僕が小学生の頃、テスト用紙はワラ半紙で、ガリ版刷りが定番だった。何を思ったか、母はどこからかガリ版の道具を調達し、僕のためにたった一枚のテスト用紙を刷っていた。テストの内容よりも、そのテスト用紙がリアルなものであることにこだわっていのだ。そんな一風変わっていた母は、僕が幼少期に描いた絵を、丁寧に(と言っても二つ折りにして)ほぼすべて取っておいてくれていた。
小島 久弥
僕の母は不思議なこだわりのある人だ。
僕が小学生の頃、テスト用紙はワラ半紙で、ガリ版刷りが定番だった。何を思ったか、母はどこからかガリ版の道具を調達し、僕のためにたった一枚のテスト用紙を刷っていた。テストの内容よりも、そのテスト用紙がリアルなものであることにこだわっていたのだ。そんな一風変わっていた母は、僕が幼少期に描いた絵を、丁寧に(と言っても二つ折りにして)ほぼすべて取っておいてくれていた。
僕は、絵を描くのが好きな子どもだった。将来は「ベレー帽を被って、スモックを着て、オーバル型のパレットを持った絵描きさん」になりたいと思っていた。その後、大学時代に現代美術にうちのめされることになるのだが…。30代のある日、母がとっておいてくれた絵を、まとめて見た。一枚一枚、それぞれの絵を描いた時のことを思い出し、時間が経つのも忘れて。その時、床にあぐらをかいていたので、全部見終わった頃には太ももから下の感覚が全く無くなっていた。
50歳になってから始めたこのシリーズは、これまで絵を残してくれていた母親への感謝を込めて “Thanks mom!・自画自参” と名づけ、今も続けている。かつて子どもの頃に描いた自分の絵に今の自分が参加するから、自画自賛ならぬ 「自画自参」 である。
これらは主に、学校の図画工作の授業やお絵描き教室で描いた絵だ。当時の先生の 「画用紙からはみ出すくらい大きく描きなさい。画用紙の白いところは残さないように描きなさい。」 との教えを守り、いつも力を振り絞って必死でバックを塗り潰していた。おかげで自画自参しやすい絵になったという訳だ。
制作している時、子どもの頃の自分が現れ 「もっとこうすれば?」 とか 「なかなかいいんじゃない」 などと言ってくれることがある。まさに過去の自分とのコラボレーションだ。このシリーズでも、長年テーマにしてきた 「Critical Point=臨界点」 が関係しているのだと思う。